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Small dreams≧Real life

ようこそ「ぽぽぴ」のBLOGへ!

深夜の食事と昭和風のゲーセン

小さな記録

珍しい発見

昼間は多くの車が行き交う国道も夜間は暗闇に覆われている。道沿いにところどころあるコンビニ、飲食店だけが目に入る。車が移動手段としてスタンダードになった社会に我々は生きている。国道沿いの大通りを道なりに進んでいくと、チェーン店として知られた知名度の高い店ばかりだ。何処にいっても同じ色の看板にメニューも画一化されマニュアル通りで色がない。そして夜には一斉に店が閉まる。不景気も影響して夜中に客はほとんど来ないし、従業員も不足している。だから昔は深夜営業も当たり前だったが、今では定時に店を閉める。営業している方が損をしている時代に変わったのだ。損とか得とか簡単に割り切れるもんではないけど、少なくとも無駄な経費削減が当たり前だ。

全く馴染みのない店がポツリポツリと夜のネオンライトを点灯させながら、静かに佇んでいた。腕時計を見ると深夜12時を越えていた。こんな時間に営業している店は皆無。駐車場には車が何台か停まっていた。恐らく長距離を運送するトラックだろう。途中休憩で仮眠をとっているのだろうか。闇の中で物音一つたてることなく存在自体が消えていた。でもこうして運送する人がいなければ生活が成り立たないということも分かっている。ご苦労様ですと小さく呟いた。もちろん聞こえるハズもないが。折角立ち寄ることにしたのでお腹を満たし、少しばかり車で休もうと思い店に入ることにした。店内に入ると、耳に響く不快な機械音が気になる。夜中だというのに音量が多きすぎる。どうやらゲームセンターも隣接しているようだ。

普通のメニュー

 店内の食券売場でメニューを眺めた。セット価格で1000円以内だから値段としては普通なのかな。でも少し高い気がするけど、ラーメンと餃子のセットを頼むことにした。それなりに量もあるし、味も結構いける。コスパは良い。腹ごしらえを終えて暫く休むことにした。当たりを見回すと、汚れた作業服を着た中年の男性がカウンター席でカレーライスを食べていた。疲れ果てた青白い顔をしていて覇気がない。食べ終えた後は、車で仮眠を取って仕事に戻るのだろうか。そんなことを考えていたら自分も眠気を感じていた。

昭和風のゲームセンターと若者

食事を終えて眠気を感じていたので、車に戻ろうとした。すると先ほどから気になっていた古くさい昭和風のゲームセンターが気になる。深夜にも関わらず音量が大きい。全く時代錯誤もいいところだと思ってしまうほど、廃れている。昔は多くの人で賑わっていたのかなと思いながら、少しずつゲームセンターの方へと足を伸ばしてみた。不思議なことにゲームセンター内には数人いた。煙草を吹かしながらクレーンゲームに夢中になる若者、スロットやパチンコのゲーム中年などで遊戯する人がこんな真夜中にもいる。特に気になったのは煙草を吸いながらクレーンゲームが出来る環境。受動喫煙が問題になっていて、居酒屋でも規制強化が進んでいるのに自由に煙草を吸える場所が生き残っていたことに驚いた。日本では喫煙者が年々減少している。健康だけでなくて経済的にも無駄というか高いことが認知されてきている。従ってかつてはマジョリティーだった喫煙者が今やマイノリティーになっていて社会から排除されている。最近では室内での喫煙は禁止となり、完全分煙となる場面が多い。それだけ社会が成熟してきているとも言えるが、やはりクレーンゲームをしながらタバコは珍しい。注意するというよりもナチュラルな日常の光景とし成立している。もしかしたらここだけは別次元の世界なのかもしれない。そして知らない世界が依然として存在していることがまだまだ沢山ある。

弱者の逃げ場と出口

ゲームセンターと言えば不良を連想したり、何かとマイナスイメージを持つ人も多いのではないだろうか。確かに学生時代では勉強が出来なくてスポーツも中途半端なタイプの人がゲームセンターに入り浸っていた。そこでタバコ、酒などの大人の嗜みを覚えてレールから外れていた。真っ当な道で勝負出来ない社会的弱者の道が続いているのかもしれない。謂わば裏側のコミニュティーが成立していて、好ましくない関係が誕生しているのかもしれない。

だから弱者の逃げ場としてのゲームセンターが機能していたのかもしれない。偏見かもしれないがそうゆう側面もあるのではないだろうか?クレーンゲームのすぐ脇にベンチがある。そこに若い金髪の女性が体を横たえていた。詳しくは分からないが10代そこそこだろうか?緑色のラインが入ったPUMAのジャージを着ていた。スマートフォンを弄りながら周りを気にする気配すらない。どうやらクレーンゲームをやっている男の連れらしい。男が戻って来た。男「全然取れねえわ。マジイラつくわ」ポケットからタバコの箱を取り出す。そして入ってないことに気づいてゴミを床に捨てた。女「まじか。」男「タバコ一本くれ。」女がキャスター・マイルドのソフトパックからタバコを一本取り出して差し出す。男「てかさ、あいつらどうなった?」「何か忙しいとか言ってる。」「じゃ飯食って帰るか」こちらに向かってくる途中私の存在に彼らは気づいた。目を合わせずに券売機の方へ歩いていく。彼らも同じメニューから選んでご飯を食べると思うと、妙な親近感を感じてしまった。

DAZNに期待!

いよいよ2017年のJleagueが開幕した。サッカーに期待を寄せることはもちろんだけど、今年からメインの放映権を握っていたスカパーからDAZNに権利が移ったことにも興味がある。昔からサッカーが好きだからスカパーを契約することを何年も考えていたけど、結局サッカーチャンネルを契約することないまま過ごしてきた。日本代表の試合は国全体として注目度が高いから地上波でも放映されるのかもしれないけど、Jリーグとなると微妙。他のスポーツと比べると大一番の試合のみに限定されて放映する確率が高いから、試合を見ることが中々出来ない。そんなわけでサッカーを見たいけど諦めてきた人間の一人としてDAZNには注目している。近年ではYouTubeのようにポータブル端末で何処に居ようと視聴出来るメディアが人気を博している。つまりテレビというメディアは過去のものに変化してきているのかもしれない。

 

昔からサッカーが好きでプレーすることももちろん見ることも同様に好き。小学生くらいの頃はサッカーよりも野球の方が知名度も含めて人気が高い時代だったと思う。日本代表の試合ぐらいしか見るチャンスがなかった。特に海外サッカーは自ら有料チャンネルと契約して見るしかない。でも当時小学生くらいの子供に単独で実現出来る類いのものではない。仕方なく親に頼み込んでお願いするも受け入れて貰えず悲しかった。そして同時にいつかサッカーチャンネルに契約して好きなだけサッカーを見ると決意した。今思うと子供の頃は泣く泣く我慢したことが簡単とは言わないが実現出来ることを知り幸せに感じる。裕福な家庭に育ってないから我慢することも大切という教育を受けて育った。分かる方も多いと思うが、子供の頃は親の承諾がなければ出来ないことも多い。判断能力的な部分も含めておまけにお金もない。だから工夫して親を納得させる努力の術を学んだ。一種の交渉力といっても問題ないだろう。こうして我慢をしながら時には親を説得しても中々実現出来なかったものこそサッカーチャンネルだった。

そして第一節を見終えた感想として、非常に画質も良くクオリティーが高かった。解説者も著名な元サッカー選手が多く参考になった。またJ1だけでなくJ2においても同様な扱いでライブ配信されているので満足している。

 

連なる鎖を断ち切って

何かが足りないわけじゃないけど、何処か閉塞感を感じると思っている。世界経済が不安定だからなのかあるいは先行きが不透明で不安からなのかそれとも他に原因があるのか分からない。それでも何とも言えない前途を塞がれたような絶望を感じる。

 日本について言えば古き良き時代は完全に終わりを迎え新しい時代の過渡期に入ってるのかもしれない。時代は変化しているからそれに適応するような力が必要だと改めて思う。ただ古き良き時代を生きてきた人にとっては、あまりに辛く厳しい社会と過去を比較してしまうのかもしれない。20代そこそこの私から見れば、そんな時代は存在しなかった世代で育ち羨ましくも思える。

さて私たち若者はこれからどこに希望を抱いて生きていけば良いのだろうか?非常に生きづらい社会になっていると思う。20代そこそこで結婚して温かい家庭を築きたいと願うこともどこか薄っぺらいものに感じてしまう。かつて当たり前だった光景が、幻のように消えていく。そして結婚という制度も問題があるのかもしれない。テレビやワイドショーで連日のように不倫という言葉が横行している時代なのだ。

でも一方で時代の進歩の恩恵を受けて、生活スタイルが多様になって幅広い価値観を生んでいるから面白い部分もある。気軽にネットを介して世界中に繋がれる時代になった。ある意味で奇跡的で予想外な世界になってきている。

 

不景気の煽りを受けて厳しい生活を強いられている人が沢山いる。近年では生活保護の不正受給が騒がれたり、貰うべきではない人が受給することで一般の人々の働く意欲が低下してしまう一種のモラルハザードが問題となっている。そういった問題があるけどやはり受給者が増加していく背景には不況の波があると。また一方で高齢者の単独世帯が増加したことにも原因がある。

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環境と人生 

今回は貧困の連鎖にをテーマにしよう。貧困と言うと遠い発展途上国の子供をイメージしていた時代があった。しかし時代は変化し、貧困という痛ましい現実がすぐ目前に迫る社会になってきている。自分が貧困に陥ってもおかしくないし、もしかしたらすぐ近くの人にもいるかもしれない。そして皮肉にも貧困世帯は次の悲劇を招きながら連鎖する確率が高い。一度罠に嵌ってしまったらループから抜け出すには相当の苦労を要する。例えば日本では未だに学歴社会が残っている。近年では学歴だけで判断するのではなく、高い能力を持った人が活躍する姿が当たり前になってきた、だけど一方で根強く社会に残っている。特に学歴が人間を測るモノサシになっているといっても過言ではないだろう。しかも収入と学歴の相関関係も高いということが発表されていて、貧乏な人は教育の質も下がる傾向にある。こうして世代を超えて受け継がれていくパターンが一般化してきていると思う。思えば、日本の江戸時代は身分制社会であって移動の自由もなく職業も世襲することが当たり前だった。武士の家に生まれたら武士になり、農家に生まれたら農家になることが、一種の名誉であり光栄なことだった。つまり生まれた環境が人生を大きく左右するという事実はさほど変化していないのかもしれない。

 以上から環境が関係していることを否定することは出来ないと思う。だけど全て環境のせいにすることは、おかしい。自分で変えていくことが出来る部分もあるのだから、周りに責任を押し付けて生きていくことが正解なわけではない。むしろ事実を認識して、どうすればいいのか?考えて欲しい。数学のように公式もないから非常に骨の折れる作業だけど勇気を持って欲しい。 

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